「言語化」するという行いに気に食わないところがあるので、張り切って「言語化」せずに言いたいし語りたい。
浅瀬のところで言えば、「言語化」という字面からして胡散臭い。もはや古い例えになってしまうが探偵ガリレオのサブタイトルのような出立ち。ルビを当てるなら「言語化(ごまか)す」にちがいない。
日本語を使ってるんだからそもそも言語だろうよ、という野次は我慢するとして、「言語化」とは「思考内容や伝えたい事項を構造化して、意味の通りやすい形で言葉に表す」という意味で使われているように思う。よって、人は自分の気持ちの整理がつかないときに「言語化」をしてみたり、相手が何を言っているかわからない時に「言語化」を求めてみたりする。
なるほど便利な概念であるし、できる限り共通の意味を持つ記号として言葉を運用することが求められるシチュエーション、たとえば業務上のコミュニケーションや情報の整理においては有用なアプローチだと思う。
気に入らないのはそんな「言語化」の能力とかいうのが、ことさらにもてはやされているからである。かなり限定的な用途に使うテクニックをさも言語の技術のすべてのように扱う響きが大変気に入らない。本末転倒の末、尖りに尖った言葉を以って、上手だの下手だのとしている状況が見ていられない。
そもそも言葉は伝えるためだけに使っているのが勿体無い。言葉によって存在する感情だってある。言葉によって紛らわされる悲劇や、言葉によって増幅される喜び、言葉によって伝えられる出来事もある。そして、これらの言葉の様々な力は同時に活用されても良い。
とても暑い日があったとして、そのまま「暑い」と発せば多少気がまぎれるかもしれない。「アスファルトがぐにゃりと融ける温度」と言えば部活が中止されそうだし、外出の支度をしている家族には「日傘がいるよ」と言ったりするといいかもしれない。
一つの出来事に対しても言葉の使い方はいろいろあって、「言語化」のやり方がうまくいくのは一部の場合に過ぎない。むしろ万人が誤解しづらい語彙やフレーズに、よくある構造に意味をはめ込んでゆく最大公約数的なアプローチの中では削ぎ落とされる(べき)ニュアンスも多い。
別に「言語化」されなくても良いと言いたい。構造化ではなく、カオスに連ねられる言葉を使って意味を伝えても良い、正確な使い方ではない形容詞を使って何かを讃えても良い。そして、そういう言葉が上手い人もいる。仕事であれそういう言葉で考えた方が良いタイミングもある。
ビジネスの世界の成果物としてはわかりやすくて良いけれども、「言語化」された言葉だけで見て、考えて、表現すると、世界はとても狭い。「言語化」ばかりしているとかえって「言語化」も下手になったり、「言語化」すべきものが見えなくなったりする。
何が言いたいかというと、言葉の使い方はいろいろあるので、世間様におかれましては「言語化」というごく一部の技術にこだわり過ぎたり、一喜一憂しないでいただきたく、もっとのびのびとした言葉の運用にも挑戦し、同時に耳を澄ませてほしいということである。
整った言葉だけが罷り通っては面白くない。焦ってどもってしまうとしても発する言葉の熱を冷ましたくないし、意味はなくとも気の済むまで同じことを何度も言いたいし、言葉を誤用した先でしっくり来たい。そういう言葉たちも愛でたいし、愛でられたいと思う。
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